MAPO堂

最終決定は存在しない。

Blogで重要なのはコンテンツだけど、きっかけはそうでもない

今週のお題「私がブログを始めたきっかけ」

9時に寝たら4時に目が覚めてしまったので、お題に乗って朝っぱらから思い出話。

少しは以下の記事に書いてあるのですが、きっかけと言われるともう少し前の出来事が思い出されました。

始めた時はブログなんて無かった

中学生の時に親のPC9801ノートでわけも分からずBASICプログラムを書いていて、パソコンってわけわからんけど入力するとなんか応答が帰ってきて面白いという感覚を持っていました。 高校生の時にはWindows95がかなり普及してきていて親がパソコンを買い換えるときに、VisualBasic欲しいとねだって、GUIで電卓とか作って自己満足していました。 まだここまではインターネット環境はなかった。

とっかかりは大学での情報リテラシーなんたらとかいう名目のHTMLの授業でした。 コンピュータ室のUnix端末でHTMLを手書きしてはブラウザで表示するという作業を繰り返しながら、 HTMLコードが派手な文字や表になって出てくるのに面白さを感じていました。

せっかく作ったものを家からでも見たいので、 親にダイヤルアップ接続の契約をしてもらって一人でピーヒョロロと繋いで覚えてきたURLを打ち込んで見ていましたね。 個人情報もろ出ししていたと思うけど、それ程気にならなかった時代でした。

まだブログという名はなく、ホームページとかトップページとかWebベージだとかいろいろな言い方が混乱していました。

作ったページを家で見てるといろいろ気になって直したくなります、他の学生から見られているから(ほんとは多分誰も見てないけど)、思い立ったらすぐ直したい。 でも直すには学校のコンピュータ室まで行かないといけない。 家からできたらいいのになと思っていたところに、僕にとっては先進的な大学の友人らは、「そんなの簡単だ FTP 繋げばいいんだよ」みたいなことを言うわけですね。

僕にとってはFTPって何なのって言う話ですから、いろいろ調べてたけどよくわからなかった。

そんな時に id:karaage さんが超詳しいと聞いて、直接ではなくメールで問い合わせたんですね。 返事はすぐに帰ってきました。 FFFTPを使いなよ!接続方法はコレ!みたいな返事。違うかも。 をもらって、めでたく学校のサーバの自分のディレクトリに接続ができた覚えがあります。 FTPからのダウンロード・アップロードが楽しくて毎日更新していた気がします。

そこからは加速度的に進みました。 CGIとかPerlとかでムダに掲示板やアクセス解析を用意したり、はてなアンテナで友人の更新をもれなくチェックしたり、学校のサーバなんて嫌だからと自宅サーバを立てて、Webサーバとメールサーバの機能をつけたりと先進的というよりは電波系な友人らから目新しい情報を得ては自分で試していました。

ブログっぽくなってきたのはひと通り技術的なことを理解した後に、コンテンツが重要だと思う出来事があってからです。

それは、中華ロボット先行者などで知られる侍魂という、超人気テキストサイト

というわけでブログ(HTML日記)が始まる

ここから先はプロフィールの内容と同じなので省略します。

コンテンツが重要と言いながら、 面白いコンテンツはなかなか書けないですね。 自分の足跡を振り返る情報源としてはとても良いコンテンツになっていると思います。 HTML手打ち時代の記事は侍魂を真似た痛い感じのが多かった気がするので、今となっては消え去ってよかったかなと思います。

たまに他の人からのアクセスがあって、読まれていることがわかるのが、ブログが続く一つの要因かなとも思います。

結局きっかけは

以下の3つくらいですかね。

  • 手打ちのテキストが変換されて見れることに面白さを感じたこと。
     はてなブログのブログカードはそういう意味で革新的と個人的には思います。
  • 自宅で更新できるようになるまでに、やり方を教えてくれる人がいた事。
     今は検索ですぐに分かることも多いですが、必ずそれを書いた人がいます。
  • 世界中に公開され少なからず見られていること。
     完全にプライベートな日記だったら始まりはしてもすぐ終わっていたはず。

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