MAPO堂

最終決定は存在しない。

"理性を正しく導き、学問において真理を探究するための"

方法序説

複数の場で紹介されて気になったので買ってみました。

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

気になったところ

第2部

この部ではデカルトが探究した方法の主たる規則が述べられています。

第一は、私が明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。言い換えれば、注意ぶかく速断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、何もわたしの判断のなかに含めないこと。

第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。

第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識にまで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。

そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。

第二の項目は、仕事をしたりものを作る上で欠かせない考え方と思います。最近は、子供に何か教えるときにも実感が覚えます。

例えばボタンのかけ方。大人になれば着替える際に無意識にできる行為ですが、子供に教えてみると結構な手順を示す必要がありました。 書いてみたけどまだうまく説明できてない。

  1. ボタンをつまむ。(通しやすいように、ボタン穴と反対側をつまむ)
  2. ボタン穴の対応付けをとる。
  3. ボタン穴付近の布を持ってボタンを半分通す。
  4. ボタンを離して、ボタン穴を通過した側からボタンをつまむ。
  5. ボタン穴付近の布を持った方の手を反対の手に持ち変える。
  6. ボタンとボタン穴をつまんだ布を反対方向に引っ張って、ボタンを完全に通す。
第4部

(前略)そしてわれわれの推論は、眠っているときには、目覚めているときほど明証的でも完全でもけっしてないのだから、睡眠時の想像がときには覚醒時と同等かそれ以上に生き生きとして鮮明であるとしても、理性はやはり次のように教えるのである。われわれが完全無欠ではないゆえに、われわれの思考もすべてが真ではありえないのだから、思考のもつ真理性は、夢のなかにおいてよりも、むしろ目覚めて持つ思考において、まちがいなく見いだされるはずである、と。

夢の中で考えた論理やアイデアが、現実世界で話したりドキュメント化しようとするとうまくいかないことがあります。夢の中では何か欠けているんだろうな、そういうことかな。

第6部

健康はまぎれもなくこの世で最上の善であり、ほかのあらゆる善の基礎である。

わたしも昨年ようやく健康の重要さを実感しました。そしてIngressを始めました。

mapodou.hatenablog.com

たとえば現に、今までわたしが学んだわずかばかりのことは、わたしのまだ知らないことに比べればほとんど無に等しい。しかもわたしはまだ学びうるという希望を捨てていない、このことを知っていただきたいと思う。というのは、諸学問のなかで少しずつ真理を発見していく人は、金持ちになり始めた人たちが、まえに貧乏だった頃はるかに少ない利を得るのに費やした労力にくらべて、少ない労力で大きな利を得るのと、よく似ているからである。あるいは、軍の指揮官にたとえることもできる。指揮官は、勝利に比例して兵力を増すのがつねであり、戦いに敗れたあとでは、勝利のあとに都市や地方を占領するときよりも、兵力を持ちこたえるためにずっと大きな指揮力を必要とする。われわれが真理の認識に到達するのを妨げるあらゆる困難や誤謬を克服しようと努力するのは、まさしく戦うことであり、多少とも一般的で重要なことについて何か誤った意見を受け入れることは、戦いに敗北することだからである。

なるほど。

(前略)しかし、わたしは自分がきわめて誤りを犯しやすいことを認めており、また最初に浮かんだ考えはまずけっして信頼しないのであるが、それでもなお、人から受ける反論についての経験からすると、そこからはどんな利益も期待できない。

真理を探究しようとか全く新しいものを作ろうとする人たちにとって、自分より適切なレビューアが(近くに)いない問題に近いかも。

雑感

文庫で本文100ページ足らずの本ですが、一読の価値ありと思います。 編集長らが起きて騒がしくなる前にババっと読んでみました。

いつかまた読もう。