MAPO堂

最終決定は存在しない。

サピエンス全史(Sapiens: A Brief History of Humankind)を再読中。漫画版もあるよ。

あまり同じ本を2回読むことはないのですが、急いで読みすぎたので、夏休みに再読中。

ブログに書き残すもの面倒なのですが、あとから見ることもあるかと思って、適当に書いておきます。

本は、非常に面白いです。

mapodou.hatenablog.com

気になった箇所を抜粋

歴史の道筋は、三つの重要な革命が決めた。約七万年前に歴史を始動させた認知革命、約一万二〇〇〇年前に歴史の流れを加速させた農業革命、そしてわずか五〇〇年前に始まった科学革命だ。三つ目の科学革命は、歴史に終止符を打ち、何かまったく異なる展開を引き起こす可能性が十分ある。本書ではこれら三つの革命が、人類をはじめ、この地上の生きとし生けるものにどのような影響を与えてきたのかという物語を綴っていく。

読み返してみるとまさにこの通りの物語が展開されていきます。

認知革命は、ホモ・サピエンスの脳の大きさ(哺乳類の平均が体重60kgで200~300gに対して、人類は1200~1400g程度との記載あり)によって思考力を得たことにはじまり、筋力ではなく脳にエネルギーを費やすために、社会性が強くなったというような流れ。

農業革命はご存知の通り小麦や稲の栽培の話なのですが、著者の独自の観点として、以下の記述があり、ハッとします。

人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。 では、それは誰の責任だったのか?王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ。

ほんとにそうかも知れないと思うと恐ろしくなってきます。社会の職業的な役割が分断されていることで、自ら小麦を作っていない人たちも、お金を用意して、それらを買う必要があるので、貨幣・資本主義的なところは資本に家畜化されていると言ってもよいのかなと思います。社畜と自虐的に言う人もいますが、もう少し視点を広くすると人類の大半は、なんとか主義畜に属しているはず。

歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。 (中略) 私たちは過去数十年間に、洗濯機、電気掃除機、食器洗い機、電話、携帯電話、コンピューター、電子メールなど、時間を節約して生活にゆとりをもたらしてくれるはずの、無数の機械や手段を発明した。以前は、手紙を書き、封筒に宛先を書いて切手を貼り、ポストまで持っていくのはけっこうな手間だった。そして、返事がくるまで何日も、何週間も、ことによると何ヶ月もかかることがあった。それが今では、電子メールを地球の裏側までさっと送り、(相手がオンラインならば)一分後には返事が受け取れる。私たちは以前の手間と暇をすべて省けたわけだが、前よりもゆとりある生活を送っているだろうか?

ゆとりは本当に減っていると思いますね。電子メールが進化?して、チャットが業務で使われていますが、オンラインであることすらリアルタイムで把握されるという事態が起きています。より一層、ゆとりがなくなっていく方向に時代は進んでいると感じます。

資本主義の時代が変わってくるのかもしれないですね。

本の帯についている著者のユヴァル・ノア・ハラリさんの顔が印象的なのか、子どもたちが出先でこの本を見かけると「サピエンス!」というようになりました。

たしかになんかシュッとした知的な顔をしてますね。

盆休みも終わります

この連休は旅行にも行けず、オンラインになれる環境に居ることと仕事の事情が重なりまして、だいぶ仕事していました。まったく気の休まらない連休でした。

明日からも仕事です。ほんとに仕事を忘れて休みたい。もしくはのんびり仕事したい。