MAPO堂

最終決定は存在しない。

他人に危害を加えなければ自由でいい、人生は短い

最近また、哲学的な古典を読んだので、ちょっと整理。

ミル、自由論

 本書の目的は、きわめてシンプルな原理を明示することにある。社会が個人に干渉する場合、その手段が法律による刑罰という物理的な力であれ、世論という心理的な圧迫であれ、とにかく強制と統制のかたちでかかわるときに、そのかかわり方の当否を絶対的に左右するひとつの原理があることを示したい。
 その原理とは、人間が個人としてであれ、集団としてであれ、ほかに人間の行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られるということである。文明社会では、相手の意に反する力の行使が正当化されるのは、ほかのひとびとに危害が及ぶのを防ぐためである場合に限られる。

オミクロンの影響で学校や保育園が休みになったりしています。子どもたちが外出するのを世間体を気にしてできないとなると、運動不足に陥るという別の意味での健康上の問題になりそうです。

少し外を散歩したりするのに政府や学校に指示を求めるのではなく自由にやればいいじゃないかと思うわけですが、その時の拠り所には上記の原理が役に立つのではと思います。

セネカ、人生の短さについて

 ひとは、自分の土地が他人に占拠されることを許さない。(中略)それなのに、ひとは、自分の人生の中に他人が侵入してきても、気にもしない。(中略)
 自分の金銭を他人に分け与えようとする者など、どこを探しても見あたらない。なのに、だれもかれもが、なんとたくさんの人たちに、自分の人生を分け与えてしまうことか。ひとは、自分の財産を管理するときは倹約家だ。ところが、時間を使うときになると、とたんに浪費家に変貌してしまう

「あなたは、ひとの一生の最後の段階に達しているようにみえます。あなたは、すでに百歳に近い。いや、それ以上のお歳でしょうか。さあ、それでは総決算をしますから、あなたの生涯をここに呼び出してください。では、計算してください。あなたの生涯から、債権者によって奪われた時間は、どれだけですか。愛人によって奪われた時間は、どれだけですか。主人によって奪われた時間は、どれだけですか。夫婦喧嘩によって奪われた時間は、どれだけですか。奴隷の懲罰のために奪われた時間は、どれだけですか。つとめを果たすために(中略)奪われた時間は、どれだけですか。では、次に、みずからの手で招いた病気(のために失われた時間)を加えてください。さらに、使われることなく無駄に過ぎていった時間も加えてください。あなたの手元に残る年月は、いま足し合わせていった(失われた)年月よりも短いのですよ。

自分の人生の時間は?

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健康でいられるのが72歳までとすると、60歳まで忙しく働き続けてしまうとどうなるか?

自分の人生で自由に過ごせるのが12年しか無いと思うとドキッとしますね。

そもそも、自分の人生の時間って、何なんでしょうね。

本書ではこのような記述があります。

人生は、三つの時に分けられる。過去と、現在と、未来だ。これらのうち、われわれが過ごしている現在は短く、過ごすであろう未来は不確かであり、過ごしてきた過去は確かである。
(中略)過去を恐れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる人たちの生涯は、きわめて短く、不安に満ちている。
(中略)ならば、われわれは、この短く儚い時間のうつろいから離れよう。そして、全霊をかたむけて、過去という時間に向き合うのだ。過去は無限で永遠であり、われわれよりも優れた人たちと過ごすことのできる時間なのだから。

過去の賢者(われわれよりも優れた人)の考えに触れることが素晴らしいというような記載があります。

ただ、それだとやっぱり他人の人生をトレースしているだけという感じもしてイマイチです。

人生を振り返った時に、その場限りの束の間の楽しみに溺れたり、忙しく過ぎ去ってしまうような時間の使い方ではなくて、振り返る価値のある思い出を過去という誰にも壊されない確かな時間に残して行くために、今を生きましょう、ということでしょうか。

そして、スティーブ・ジョブズもスピーチで言ってたのを思い出す

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしているを本当にやりたいだろうか?」

なかなか奥が深いです。