MAPO堂

最終決定は存在しない。

量子力学的な、世界の関係とシミュレーション仮説

今年のゴールデン・ウィークからはこんな本を読んでいました。

小説を読もうと思っていたのですが、なんとも面白いかった。

世界は関係でできている

こちらは論理物理学者の著作、文体は物理学書と言うより、文学の雰囲気。

アナログだと思っている世界にも最小の単位があることを量子力学が説明しており、 実はデジタル的な観測しか得られないのではないか、という気づきが得られる。

仏教やマルクス・エンゲルス何かの話も出てきて非常に視点が広い。哲学的。

というか、世界の見方が全く変わってくるんでしょうね。

現代の常識に囚われた自分では、もう理解できないのかもしれないけども。

われわれは仮想世界を生きている

そしてこちら。我々の現実世界は、誰か別のもののコンピュータゲームであるという仮説(シミュレーション)だとすると、色々と説明がうまくいくよという話。

これもまた、量子力学の概念を念頭に置くとそうなのかもしれないような気もしてきます。

ただ、説明できるということと、それが真実であることのつながりは、ちょっとこじつけが強いような感じはしました。

へーと思った事例はこれ。

「ロンドンとニューヨークで自動車事故が同時に起こった場合」という有名なたとえがある。理論的には、もしニューヨークにいれば、ニューヨークの自動車事故のほうが早く起こったように見える(ロンドンからの光が届くには、大西洋を越えなければならないからだ)。大西洋の真ん中にいれば、両方の事故が同時に起こったように見える。したがって、どちらの事故が「先に起きたか」は、実際の事象よりも、観測者のいる場所によって決まるともいえるのだ。
(『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』(リズワン・バーク, 竹内薫, 二木夢子 著)より)

とにかく面白いのでおすすめ

どちらも面白いお話でした。

量子コンピュータもどんどんビット数が増えていっていますし、 AIが人智を超える能力を身につけるとき、必要な技術のひとつなのかもしれません。

自分というのは、 世界のシミュレーションによってすべて確率的な関係であり、 その結果の一つを自分の視点で見えたものだと考えると、 私の人生があなたの人生であったのかもしれないわけです。

そう考えると、仏教でいう慈悲の心も生まれてくるんじゃないか、そんなことを思いました。

結局のところ、全ては自分に返ってくるということですから。