MAPO堂

最終決定は存在しない。

穏やかで刺激的な生活、文学的な上司

小説を読みましたので、感想というか気になった部分を残しておきます。

読んだのはこちら。

アルタッドに捧ぐ。

気になったところ

もしもあのニホントカゲが生きていたとしたら。やはりあれほどまでには少年を魅了していなかったのかもしれない。(中略)ぽつぽつと群がる赤色の蟻たちの蠢きは、死骸に悲劇的なモチーフを添えていた。その光景は、美しく稀有である者が、数において勝る卑しい者たちによって汚されていく光景として、少年の目には映った。

子供が夢中になって何かを見ている光景とダブりました。自分にもそんな時期があったのだろう。

アルタッドとの生活は穏やかなものでありながら、同時に刺激的なものでもあった。本間はアルタッドの一日の過ごし方に羨望を覚えていたのである。アルタッドは、過去も未来も孕まない、濁りなき現在を生きているかのようであった。(中略)日向ぼっこに耽り、光のなかで憩い、ただその場で安らぐことができるということ。それは紛れもなくアルタッドの才能であった。

SNSを離れて、少しずつ穏やかな生活を取り戻していきたいと思いつつ、なかなか。

タイトルに付けた文学的な上司という言葉も引っかかったところです。

本間は上司という言葉をめぐって思索する。彼女の言ったことはもっともだ。この地球にいる人間の半分以上が上司なんじゃないかと思えてくるくらいだ。そして実は、現時点の俺にだって、立派な上司がいる。観念的な、つまりは文学的な上司としての、過去の大作家たち。彼らは書店や図書館など、あらゆるところに存在していて、時には有り難い小言すらぼやく。その試みなら、私が遥か昔にやっているよ、等々。
「どこにだって上司はいるんだな」
「そりゃそうよ」

話は変わりますが、途中でメテオラの奇岩群の描写が出てきました。 私も昔、世界遺産の特集か何かで見て、すごいところだなと思ったものです。 一度は行ってみたいところの一つにしよう。

こんな感じのところです。

ja.wikipedia.org

worldheritagesite.xyz

あとは、愛知県の話も出てきました。 神奈川出身の著者の話にしては、唐突に具体的に感じた描写。 愛知県に友達がいたんでしょうかね。

アルタッドと共に修道院で生活することができたら、どれほど素晴らしいだろう。神などいなくとも、俺は祈り、歌い、死のことをなど考えずに暮らすだろう。俺は、アルタッドが光を浴びるときのように生きてみたいのだ。文章を書く必要など感じることなく、ただそこにあるものを享受するような生き方。もちろんそんな生活は、俺の空想癖の産物でしかないことは分かっているが、それでも俺は、空に聖域を散在させるようにして建てられた、あの修道院での生活を羨ましく思う。

なんか騒がし過ぎるんだよね。今の自分の周りの世界は。

良い本でした。

逆ソクラテス、相手の立場になって考えるエンパシー

年末年始に読んでいた本の感想。

最近読んだ本について、ブログにOUTPUTしてなかったなと思うので、書いていくことにする。

ソクラテス

ソクラテスの何が逆なのか、そんなタイトルに惹かれて読んだ本。 いくつかの短編小説がまとまった本だった。

最初の話が「逆ソクラテス

途中でちゃんと説明されていて、わかりやすかった。 先入観をうまく利用してその逆をつくように書かれているなと感心しながら読んでいた。

礼儀正しく接して、自分の評判を損ねないこと。自分の意見を認めること「僕は、そうは思わない。」そう言える、思うこと。 まあ確かに大事ですね。

子供にも読んでもらいたい、そんないい本でした。

伊坂幸太郎といえば、「重力ピエロ」がすぐ頭に浮かぶんだけど、内容は覚えていない。

バカと無知

橘玲の本。発言には気をつけたいと思います。

養老孟司バカの壁を思い出した。

何とかならない時代の幸福論

無意味な校則というのが軸にあるように思えた。

もぐもぐタイム」という、残飯を減らす効果を期待して、給食の時間に一言もしゃべらないでご飯を食べる指導に、コミュニケーションの上達の機会を奪っているというような批判が書かれていた。

もぐもぐタイム」はうちの子供達もそんな事を言っていたので、やってる?と聞いてみたら、やっているそう。

ただ、それは給食の時間の残り5分だけのようです。そこまでのおしゃべりをやめて、給食食べきりましょうねというそういう話のようでした。まあ我が家の子供が通う小学校の話ですけどね。

あとは、個人と組織の対立構造は、よく聞いていたのですが、本書では「個人」「世間」「社会」という構造に着目しているようでした。

「世間」は、自分とその利害関係者、会社とか地域とか。

「社会」は、「世間」に属さない人。

そんな分け方のようですね。

一番良かったのはこれかもしれない。

プレイディ:相談に答える時に、最も気をつけていることは何ですか?

鴻上:実行可能なことーーー具体的で実行可能なことを、最後に手渡してあげたいと思いっています。「気の持ちよう」とか「がんばれ」という言葉ではなく。

シンパシーとエンパシーという言葉が出てきました。

エンパシーは、自分を相手の立場に置き換えて想像すること。

今回読んだ本に共通するテーマなのかなと、感じた。

まとめ

かんばれ、って言わないようにしようと思っても、言っちゃうんですよね。

それは、相手のことをちゃんと考えていないとか、理解できていない、というシグナルなのかもしれない、そう思うようにしたい。

クララとお日さま、AIってどこまで行けるんだろうか

読みたい本リストにあったので、読んでみました。

なぜリストに入れたのかも覚えていなかったので、タイトルを見てアルプスの少女と関係あるのかと思いながら。

AIロボットと少女との友情を描く作品だそうで、AI関係だったからリストに入っていたのかもしれない。

AFという略語が巻末の解説まで、説明されずに使われていく。

カズオ・イシグロの作品は、なんか読んだことがあった気がする

ブログには何も残っていないけど、これ。

なんとなく記憶に残っているのは、執事の仕事がだんだんなくなっていくような、そんな寂しい印象。

おぼろげな記憶から連想された共通性

「クララとお日さま」では、AFのクララとそれを買って共に過ごした女の子という主従関係が、友人というかAFが人間の母親的な存在に変わろうとしていくような心を通わせる関係に近づいてくような感じを受けました。

日の名残り」は、執事が主人に人間として認めてもらうような、そんな感じ。暇をもらうとかそういうのがあったような、なかったような。

適当ですが、似た雰囲気を感じました。

アシスタントAIが普及してくるのか

この本の中でアシスタントAIについて触れられていました。昔、ウィンドウズ・オフィスにあったイルカの進化版、という表現、なかなかいいと思いました。

GoogleアシスタントAppleのSiri、AmazonのAlexa、このあたりが急激に進化してくるんでしょうね、きっと。