MAPO堂

最終決定は存在しない。

365日のシンプルライフ。仮想実践編(2/52週)

はじめに

この前以下の映画を日記ブログに残したのですが、これを実践するのは難しいので、 頭の中で妄想していくことにします。

mapodou.hatenablog.com

毎日更新するのは大変なので、毎週7個ずつ決めていこうかと思います。

Week 2, Days 8-14.

2週目です。 とりあえず洗濯は水洗い。 ずっと家にいたので、その勢いでマスクせずにコメダ珈琲へ行ってしまいました。 モーニングの小倉トースト食べたら、歯磨きしたいですね。

  1. 歯ブラシ:歯磨きは重要。歯医者でもらったタフトというのがお気に入りというか、他の歯ブラシが痛くて使えなくなってしまった。
  2. パンツ:やっぱこれはほしいですね。
  3. トイレットペーパー:おしりふき。
  4. カーテン一式:寝る時の目線と、日差しが気になります。
  5. 靴下:外歩きには裸足は気持ち悪い。夏に向けてはスニーカじゃなくてサンダルで良かったかも。
  6. ゴミ袋:ゴミ出ししないとね。
  7. スマホ:早速2週目にして登場。とりあえずこれがあればリモートワークもできなくなはいが、仕事する気か。

来週何が必要になりそうか?

だいぶ揃った感じはあります。妄想だと必要性を感じるのが難しくなってきました。

今何気なく使っているものが、実は無いはずなのですが。コーヒーカップとか、ペットボトルの飲み物を飲んでいることにしよう。

床で御飯食べるのもさみしいので、机はほしいですね。椅子と机かな。

日差しが強くなってきたので、帽子はあったほうがいいかもしれない。うちわとか。

ゴミも溜まってきているはず。ゴミを捨てるには、専用のゴミ袋が必要。ゴミを捨てるためにモノを買うという、何という行為。

ネットワーク関係を充実させないと仕事できないかもしれない。WiFiルータかな。契約はモノではない。

いつまで続くかわかりませんけどね。また来週。

Any Day Now そしてチョコレートドーナツ

またアマゾンプラムビデオで映画を見たので記録。

チョコレートドーナツ(字幕版)

チョコレートドーナツ(字幕版)

  • 発売日: 2014/12/02
  • メディア: Prime Video

きっかけ

チョコレートドーナツ(映画の邦題)というよくわからないタイトルでしたが、レビュー評価4.7といい感じに高かったので見てみました。

ドーナツ食べまくる映画かなと思ったら、内容はどっしりと重い

女装ダンサーと弁護士のゲイカップルが、ハッピーエンドのお話とドーナツ好きのダウン症の少年マルコを、麻薬中毒で刑務所にいる母親に代わって引き取って行く話。偏見満載の関係の中に構築される真の意味での家族愛を維持することの難しさを描いた映画。

法に定められた血縁関係による家族と、愛によって結ばれた家族の、どちらが本人たちにとって良いのかを取り巻く人々はどう考えるべきかを、考えさせる作品でした。

「最後に愛は勝つ」とならないところが苦しくて、ブログのエントリーに残しておくことにしました。

原題と邦題の違いについてのご参考

honkienglish.com

この原題は作中でルディが歌うボブ・ディランの名曲、『I Shall Be Released』の歌詞「Any day now, any day now, I shall be released.(いつの日か、いつの日にか解き放たれるだろう)」から引用されています。

とのこと。

コチラのほうが、彼らは「いつ家族になれるんだろう」と応援しながら見る気持ちには寄り添ったタイトルとなっています。

「いつの日か」っていうタイトルだったら、ありふれていてスルーして見る気にはならなかったと思うので、「チョコレートドーナツ」ってのもなかなか良いタイトルだなと思いました。

法律って何なんでしょうね

弁護士が重要な役割を果たす映画は The O.C. なんかもそうでした。

mapodou.hatenablog.com

法律とか常識で言い表しにくいことを描いていて、まさに社会派映画と感銘を受けました。

法律を守るのは大事でしょうが、時代にあった法律を作るとか解釈する能力が求められていると感じますね。

コチラもおすすめです。

人間が社会的に振る舞えるのは、「サピエンスが虚構を発明する能力を持った」から。 ここで言う虚構は、主に宗教と貨幣のことを言っているのですが、法律もその一種と考えても良いと思います。

「緊急事態は戦争と同じくらい劇的だが、戦争とは本質的に異なっておる」

世界大戦のような戦争に例えることに違和感を感じていたところに、良さそうな記事にたどり着いたので記録。

一時は全文が公開されていたようですが、終了しています。

www.hayakawabooks.com

www.hayakawabooks.com

上記リンク先の記事より抜粋。

 このところ、「戦争」という言葉がますます頻繁に用いられるようになってきた。フランスのマクロン大統領が全国民に対する声明で使い、政治家にジャーナリスト、コメンテイターが繰り返し使い、医師まで用いるようになっている。「これは戦争だ」「戦時のようなものだ」「戦いに備えよう」といった具合に。だがそれは違う。僕らは戦争をしているわけではない。僕らは公衆衛生上の緊急事態のまっただなかにいる。まもなく社会・経済的な緊急事態も訪れるだろう。今度の緊急事態は戦争と同じくらい劇的だが、戦争とは本質的に異なっており、あくまで別物として対処すべき危機だ。

 今、戦争を語るのは、言ってみれば恣意的な言葉選びを利用した詐欺だ。少なくとも僕らにとっては完全に新しい事態を、そう言われれば、こちらもよく知っているような気になってしまうほかのもののせいして誤魔化そうとする詐欺の、新たな手口なのだ。

元の本はコチラ。読んでみようかな。

コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら