本の紹介です。
今回は、韓国の哲学者?の本です。
「哲学者と下女」、高秉權(コビョングォン)
思ったことなど
黄緑色の表紙が目立って手にとった、そんな感じです。
後は、「下女」というのがちょっと何のことか気になったんですね。
「げじょ」と読むのか、「しもおんな」か、「げおんな」か、と読むのか、著者の性別もさっぱりわからない感じで、先入観少なく読めたような気がします。
表紙に韓国語があったので、韓国っぽいと思っていたら、韓国の話が結構出てきます。そりゃそうですね。
マイケル・サンデル氏の、「これから「正義」の話をしよう」も割と批判的な感じで書かれています。
6章の「野蛮人がわたしたちを救う」は、百田尚樹の、「カエルの楽園」を思わせるような記述と感じました。
汝の隣人を愛するな!それが「わたしたち」が「わたしたち」に閉じ込められないことを望む正義の声だ。おのれの隣人でないものたちと連携し、彼らと愛を分かて。それこそがわたしたちをより強くしてくれる正義の要求だ。したがって、正義とは国境の中には存在しない。それは国境の外から、野蛮人たちのほうからやってくる。それは一言で言って、リオグランデ川を渡る移民労働者たちからやってくる。その不法移民者たちと交渉することなしには、その野蛮人たちを交渉することなしには、決して正義はありえない。正義はわたしたちが自分がいるところからもう一歩踏み出そうとする勇気を見せるとき、はじめてわたしたちに言葉を投げかけるからだ。
結局、「下女」というのがどう関連してくるのか。
具体的に下女が出てくるような話は最初のタレスのエピソードのところだけしかなかったようにも思えます。
そこでは、下女=無知な大衆の象徴として書かれています。
ゲイとか在日朝鮮人とかマイノリティの視点のようなものが書かれているので、そういうものの象徴なのかなと思ったり。
訳者の今津有梨さんは、留学中にこの本を受け取って訳されたということで、素直にすごいと思ったのが感想。
ハングル勉強しようかなーとちょっと思ったくらいで、さっぱりです。