久々にサマセット・モームの本を読みました。
文庫で上下巻で1300ページ近くもある長編です。
モームならぬ主人公フィリップの人生を疑似体験できます。
皆様も、一つならず、共感するシーンが有るかと思います。
ブログを書く唯一の理由は、書かざるを得ないからだ。
まあ、なんでこんな事を細々と続けているんだと自分でも思っていたんですよね。
こんな一節が目に留まりました。
「いや、絵を描く唯一の理由は、描かざるを得ないからだ。体のほかの機能と同じように一つの機能であり、その機能を持つ人間は極めて少ない。絵は自分のために描くもんだ。さもなきゃ自殺するしかない。考えてもみたまえ。とんでもなく長い時間をかけてキャンバスに向かい、自分の魂の汗を注ぎこむ。その結果はどうだ?十中八九、美術展に落選する。入選しても、人はその前を通りすぎる十秒間ちらりと見るだけだ。うまくいけば、どこかの無知なばかが買ってくれて、そいつの家の壁に掛かって、食卓を眺める程度には眺められるかもしれない。批評は画家とは関係ない。批評は客観的に判断するが、客観ってやつは画家とは無関係だ。」
いろいろな世界と経験したい気持ちが出てきます
訳が素晴らしかったのか、早く続きが読みたくなるような感じで、どんどん読めました。
特にトレドを描いた絵:Vista y plano de Toledo
現地を見てみたいと思わせてくれる絵でした。
スペインは行ったことがないので、ぜひトレドにも行ってみたいなと思いました。
この長編が読めたことで、読めなかった「百年の孤独」で受けたショックを和らげることができました。
まあ、どんなショックだね、ということですけど。
大したことはないんでしょうが、読解力のなさに怖気づいたというか、登場人物すら頭に入ってこない理解力のなさに愕然としたというか、そんな感じの自分の無能さを強調されたような気持ちです。
フィリップは、会計事務所でのオフィス勤めをやめ、画家を目指して美術学校へ行き、それも断念し医師になる、そんな感じの経歴の話です。それぞれの、ステージで、恋を含めたそれぞれの経験を重ねていきます。
人間のしがらみ "Of Human Bondage"
しがらみと訳された"Bondage"について調べてみました。
自分的には "とらわれ" というのがしっくり来ましたね。
親や地域の信仰へのとらわれ、自分の体の障害へのとらわれ、出会った人々から受ける影響へのとらわれ、などさまざま理性でわかっているけれども感情・情動的に別な行動になってしまうような「しがらみ」こと「とらわれ」が、フィリップの人生哲学を創っているように感じました。
少しずつ読み進めて、1ヶ月くらい読み終えるのに時間がかかりましたが、また読んでみたい、そんな気持ちになった本でした。