MAPO堂

最終決定は存在しない。

年度末に思うところと、Step数の記録2021下期から2022年3月くらい

三連休も最終日ですね。

昨年までの忙しさが一段落し、急速に仕事への熱量がしぼんでいます。

真ん中の子の卒園・入学

下の子の入園

上の子の進級

と、なんか色々忙しいというのもあるかもしれません。

まあ、そんな時期があってもいいじゃないかと思うんだけどね。

ブログもあんまり更新できてない事に気づいたので、年度末だし、Step数の記録でも公開しようと思います。

Step数の記録

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2021年7月までの記録がないのは、 以下の記事を書いたあと、 8月にiPhoneを水没させたからです。

思うところ

なんだか順調に右肩上がりなグラフになってますね。

意識的に歩くようにしている成果が出ているとも言えます。

特に今年2022年に入ってからは、会社までの往復をできる限り歩くようにしています。

どうしても仕事していると頭ばっかり使うので、 体と、頭を、両方バランス良く使うために、 ウォーキングを取り入れた感じです。

1日1万歩くらいは、歩いたほうが良いのかなと思いますね。

歩いている途中で、結構色々考え事なんかもできますので、おすすめです。

ただ実際は、あまり考えてないです。

仕事のことよりも、風景をボーッと見ながら歩いていることが多いかもしれません。

同じ道を歩いていても、いろいろな気づきがあります。

同じことの繰り返しからも学ぶことができる、どこで読んだか、最近ハッとした言葉です。

実際、同じ道を歩いていても、

新しい建物ができていたり、古い建物が壊されていったり、

昨日無かった花や草の存在に気づいたり、

同じ人を見かけたり(電車だとよくありますが、徒歩でも同じような光景が見えてきます)、

同じ車を見かけたり(特にマナーの悪い車は目立ちます。同じ時間にそんな走り方してたら、いつか事故に合いますよ)

何故か変なところで躓いて、段差の存在もしくは老化?に気づいたりすることもあります。

一番いいのは、電車に関して考えることが減ったことです

まず、発車時間を気にしなくて良いことです。あー今日は休日ダイヤだった、みたいなのと無縁になります。

他には、あと1分早く来れば、座れたのにとか。

急いできたのに、電車遅れてるじゃないとか。

変な人の隣になることもありません。

コロナウィルスへの感染リスクも激減です。

歩くペースはそんなに変わりませんから、だいたい一定の時間で、職場まで到着できます。

電車よりも正確かもしれません。

マイペースな自分には、とても相性のいいことだと思っています。

少し頑張れば歩いていける職場があったのに、今までもったいなかったなとすら思います。

まあ、でも毎日歩くのはちょっとつらいかも。テレワークに感謝です。

前回のStep数に関する記事

2021年7月までの記録ですね。未だにiCloudにデータを上げていない時代遅れな私。

ブログのおかげで、奇跡的に記録が残りました。

iCloudになくて、ブログに後悔してたら、同じことではないか、とも思えてきました。

mapodou.hatenablog.com

まとめ

とりとめのない記事でした。

春休みはちょっとした旅行に行こうと思っているので、それが終わったらまたブログを更新してみたいと思います。

ではまた。

DeepLの翻訳、読解力なかなかあるかも

ここ数年、辞書引くのめんどくさいと辞書の英辞郎をほとんど使わなくなって、Google翻訳を使う様になっていました。

最近半年くらい、DeepLというニューラル機械翻訳サービスを使うようになっています。

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試してみたい方はこちらからどうぞ。

紹介記事を書いておいてなんですが、私の記事を読むより、実際に自分で使ってみるほうが早いと思います。

www.deepl.com

例えばこんな感じ

インスタグラムで見つけた、とある海外の医師のつぶやきです。

例文:never allow your past bring you down

私の脳内翻訳

過去が、あなたを落ち込ませる状態にする(bringだからもっていくか)ことはない。

過去を気にするなってことだろうか。

Google翻訳

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文にピリオドを付けるとこんな感じ。

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まあ、意図はあってそうだけど、いまいちな感じ。

DeepL翻訳

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「昔とった杵柄」ということわざなのか、と納得。例文として覚えている人はこれがわかるんでしょうね。

文にピリオドを付けるとこんな感じ。

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「過去に縛られることなく、自分らしく生きよう。」

この訳も素敵ですね。

発言した医師が日本のことわざを知っているとも考えにくいので、これがもとのつぶやきのコンテキストに最も合うのかなと思いました。

DeepLについてはこちら

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www.deepl.com

ja.wikipedia.org

まとめ

最近使っている感じでは、DeepLのほうがしっくり来る翻訳結果を提供してくれている思います。

ただ、それを理解するには、日本語の知識も必要ですし、英単語の意味・例文を色々覚えて身につけておく必要もあります。

このあたり、最終的にどの翻訳結果を使うか、ってところがAIやディープラーニングで越えられない壁なんだろうなと、ふと思いました。

人間を超えることは難しいでしょうが、言語の壁のハードルを低くしてくれる可能性は高いと思います

こんな本も面白いと思います。

他人に危害を加えなければ自由でいい、人生は短い

最近また、哲学的な古典を読んだので、ちょっと整理。

ミル、自由論

 本書の目的は、きわめてシンプルな原理を明示することにある。社会が個人に干渉する場合、その手段が法律による刑罰という物理的な力であれ、世論という心理的な圧迫であれ、とにかく強制と統制のかたちでかかわるときに、そのかかわり方の当否を絶対的に左右するひとつの原理があることを示したい。
 その原理とは、人間が個人としてであれ、集団としてであれ、ほかに人間の行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られるということである。文明社会では、相手の意に反する力の行使が正当化されるのは、ほかのひとびとに危害が及ぶのを防ぐためである場合に限られる。

オミクロンの影響で学校や保育園が休みになったりしています。子どもたちが外出するのを世間体を気にしてできないとなると、運動不足に陥るという別の意味での健康上の問題になりそうです。

少し外を散歩したりするのに政府や学校に指示を求めるのではなく自由にやればいいじゃないかと思うわけですが、その時の拠り所には上記の原理が役に立つのではと思います。

セネカ、人生の短さについて

 ひとは、自分の土地が他人に占拠されることを許さない。(中略)それなのに、ひとは、自分の人生の中に他人が侵入してきても、気にもしない。(中略)
 自分の金銭を他人に分け与えようとする者など、どこを探しても見あたらない。なのに、だれもかれもが、なんとたくさんの人たちに、自分の人生を分け与えてしまうことか。ひとは、自分の財産を管理するときは倹約家だ。ところが、時間を使うときになると、とたんに浪費家に変貌してしまう

「あなたは、ひとの一生の最後の段階に達しているようにみえます。あなたは、すでに百歳に近い。いや、それ以上のお歳でしょうか。さあ、それでは総決算をしますから、あなたの生涯をここに呼び出してください。では、計算してください。あなたの生涯から、債権者によって奪われた時間は、どれだけですか。愛人によって奪われた時間は、どれだけですか。主人によって奪われた時間は、どれだけですか。夫婦喧嘩によって奪われた時間は、どれだけですか。奴隷の懲罰のために奪われた時間は、どれだけですか。つとめを果たすために(中略)奪われた時間は、どれだけですか。では、次に、みずからの手で招いた病気(のために失われた時間)を加えてください。さらに、使われることなく無駄に過ぎていった時間も加えてください。あなたの手元に残る年月は、いま足し合わせていった(失われた)年月よりも短いのですよ。

自分の人生の時間は?

www.e-healthnet.mhlw.go.jp

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健康でいられるのが72歳までとすると、60歳まで忙しく働き続けてしまうとどうなるか?

自分の人生で自由に過ごせるのが12年しか無いと思うとドキッとしますね。

そもそも、自分の人生の時間って、何なんでしょうね。

本書ではこのような記述があります。

人生は、三つの時に分けられる。過去と、現在と、未来だ。これらのうち、われわれが過ごしている現在は短く、過ごすであろう未来は不確かであり、過ごしてきた過去は確かである。
(中略)過去を恐れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる人たちの生涯は、きわめて短く、不安に満ちている。
(中略)ならば、われわれは、この短く儚い時間のうつろいから離れよう。そして、全霊をかたむけて、過去という時間に向き合うのだ。過去は無限で永遠であり、われわれよりも優れた人たちと過ごすことのできる時間なのだから。

過去の賢者(われわれよりも優れた人)の考えに触れることが素晴らしいというような記載があります。

ただ、それだとやっぱり他人の人生をトレースしているだけという感じもしてイマイチです。

人生を振り返った時に、その場限りの束の間の楽しみに溺れたり、忙しく過ぎ去ってしまうような時間の使い方ではなくて、振り返る価値のある思い出を過去という誰にも壊されない確かな時間に残して行くために、今を生きましょう、ということでしょうか。

そして、スティーブ・ジョブズもスピーチで言ってたのを思い出す

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしているを本当にやりたいだろうか?」

なかなか奥が深いです。