MAPO堂

最終決定は存在しない。

マーク・トゥエイン「人間とは何か」を読む。私も人間でした

ちょっときっかけを忘れてしまいましたが、こんなタイトルの本を見つけました。

「人間とは何か」

いやー、すごいタイトルだなーと思いました。

そんなもんわからんだろう、どこの誰が書いたんだろう、と思って、スルーしようと著者の名前を見ました。

マーク・トゥエイン

えっ?

トム・ソーヤの冒険マーク・トゥエインですか?

ちょっとそこから気になって仕方なくなってしまいました。

裏表紙の短い紹介文に目を通します。

米文学の巨匠トウェインならではのユーモアと鋭い洞察で人間の心理を暴く、最晩年の傑作。解説・金原瑞人

金原瑞人さんって、モームの月と六ペンスを訳した人では?と思うとやっぱりそうでした。

月と六ペンスの感想文は、こちらを参照ください。大したこと書いてないんですけどね。

mapodou.hatenablog.com

ちょっとまた読みたい衝動が発生しました。

気づいたら、こんな本を手に入れていました。

Mark Twain, What Is Man?

意外と薄い本でしたが、主張は明快。

「人間のもつただ一つの衝動ーー自分自身の賛成を得ること」

だといいます、様々な事例に対して、結局は自己満足のために存在しているのだということに帰着します。

自分が自己中心的だと思っていたのですが、人間であるから、そういうものだということがわかって少し安心しました。

マーク・トゥエインという作家の印象が変わりました

子供の頃に、トム・ソーヤの冒険を読んだおぼろげな記憶があるくらいだったのですが、 アメリカ文学といえば避けて通れない人であり、その代表作は「ハックルベリー・フィンの冒険」だそうです。

そんな事も知らなかったのかと言われそうですが、知りませんでした。

今度は、「ハックルベリー・フィンの冒険」を読んでみたくなりました。

こういう本だったら、私が大好きなポール・オースターの本を訳した柴田さんが何かやってないかと少し調べていたら、ビンゴでした。

いくつか訳がある中で、柴田さんの訳をみつけました。

ちょっと上のAmazonリンクでは出てきませんが、翻訳:柴田 元幸と書かれています。

装丁もなんだかいい感じです。

今度はこれを読んでみようと思います。

久々に、夏休みが待ち遠しい。

そんな気分です。

モーム「人間のしがらみ」を読む。ブログを書く唯一の理由は?

久々にサマセット・モームの本を読みました。

文庫で上下巻で1300ページ近くもある長編です。

モームならぬ主人公フィリップの人生を疑似体験できます。

皆様も、一つならず、共感するシーンが有るかと思います。

ブログを書く唯一の理由は、書かざるを得ないからだ。

まあ、なんでこんな事を細々と続けているんだと自分でも思っていたんですよね。

こんな一節が目に留まりました。

「いや、絵を描く唯一の理由は、描かざるを得ないからだ。体のほかの機能と同じように一つの機能であり、その機能を持つ人間は極めて少ない。絵は自分のために描くもんだ。さもなきゃ自殺するしかない。考えてもみたまえ。とんでもなく長い時間をかけてキャンバスに向かい、自分の魂の汗を注ぎこむ。その結果はどうだ?十中八九、美術展に落選する。入選しても、人はその前を通りすぎる十秒間ちらりと見るだけだ。うまくいけば、どこかの無知なばかが買ってくれて、そいつの家の壁に掛かって、食卓を眺める程度には眺められるかもしれない。批評は画家とは関係ない。批評は客観的に判断するが、客観ってやつは画家とは無関係だ。」

いろいろな世界と経験したい気持ちが出てきます

訳が素晴らしかったのか、早く続きが読みたくなるような感じで、どんどん読めました。

特にトレドを描いた絵:Vista y plano de Toledo

現地を見てみたいと思わせてくれる絵でした。

( https://www.culturaydeporte.gob.es/mgreco/la-coleccion/colecciones/seleccion-de-piezas/pintura/vista-plano.html より )

スペインは行ったことがないので、ぜひトレドにも行ってみたいなと思いました。

ja.wikipedia.org

この長編が読めたことで、読めなかった「百年の孤独」で受けたショックを和らげることができました。

mapodou.hatenablog.com

まあ、どんなショックだね、ということですけど。

大したことはないんでしょうが、読解力のなさに怖気づいたというか、登場人物すら頭に入ってこない理解力のなさに愕然としたというか、そんな感じの自分の無能さを強調されたような気持ちです。

フィリップは、会計事務所でのオフィス勤めをやめ、画家を目指して美術学校へ行き、それも断念し医師になる、そんな感じの経歴の話です。それぞれの、ステージで、恋を含めたそれぞれの経験を重ねていきます。

人間のしがらみ "Of Human Bondage"

しがらみと訳された"Bondage"について調べてみました。

ejje.weblio.jp

自分的には "とらわれ" というのがしっくり来ましたね。

親や地域の信仰へのとらわれ、自分の体の障害へのとらわれ、出会った人々から受ける影響へのとらわれ、などさまざま理性でわかっているけれども感情・情動的に別な行動になってしまうような「しがらみ」こと「とらわれ」が、フィリップの人生哲学を創っているように感じました。

少しずつ読み進めて、1ヶ月くらい読み終えるのに時間がかかりましたが、また読んでみたい、そんな気持ちになった本でした。

「哲学者と下女」、げじょって結局

本の紹介です。

今回は、韓国の哲学者?の本です。

「哲学者と下女」、高秉權(コビョングォン)

思ったことなど

黄緑色の表紙が目立って手にとった、そんな感じです。

後は、「下女」というのがちょっと何のことか気になったんですね。

「げじょ」と読むのか、「しもおんな」か、「げおんな」か、と読むのか、著者の性別もさっぱりわからない感じで、先入観少なく読めたような気がします。

表紙に韓国語があったので、韓国っぽいと思っていたら、韓国の話が結構出てきます。そりゃそうですね。

マイケル・サンデル氏の、「これから「正義」の話をしよう」も割と批判的な感じで書かれています。

6章の「野蛮人がわたしたちを救う」は、百田尚樹の、「カエルの楽園」を思わせるような記述と感じました。

汝の隣人を愛するな!それが「わたしたち」が「わたしたち」に閉じ込められないことを望む正義の声だ。おのれの隣人でないものたちと連携し、彼らと愛を分かて。それこそがわたしたちをより強くしてくれる正義の要求だ。したがって、正義とは国境の中には存在しない。それは国境の外から、野蛮人たちのほうからやってくる。それは一言で言って、リオグランデ川を渡る移民労働者たちからやってくる。その不法移民者たちと交渉することなしには、その野蛮人たちを交渉することなしには、決して正義はありえない。正義はわたしたちが自分がいるところからもう一歩踏み出そうとする勇気を見せるとき、はじめてわたしたちに言葉を投げかけるからだ。

結局、「下女」というのがどう関連してくるのか。

具体的に下女が出てくるような話は最初のタレスのエピソードのところだけしかなかったようにも思えます。

そこでは、下女=無知な大衆の象徴として書かれています。

ゲイとか在日朝鮮人とかマイノリティの視点のようなものが書かれているので、そういうものの象徴なのかなと思ったり。

訳者の今津有梨さんは、留学中にこの本を受け取って訳されたということで、素直にすごいと思ったのが感想。

ハングル勉強しようかなーとちょっと思ったくらいで、さっぱりです。